日本人がまだ気づいていないクールジャパンの海外の反応~瞑想編~

こんにちは。浅野 正憲です。

今回は、日本人がまだ気づいていないクールジャパンの海外の反応~瞑想編~についてお話していきます。

 

瞑想はクール! トップエリートは瞑想する。


以前、アメリカ西海岸で暮らす先輩とスカイプしていたら、私 : 「シリコンバレーで瞑想が流行ってるんですか?」と驚いたことがありました。

なんでも<マインドフルネス瞑想>という坐禅から派生した瞑想法をGoogleで採用していて、それには驚くべき効果があるのだとか。

気になって調べてみると、Intel、Facebookなどの企業でも<マインドフルネス瞑想>が研修として取り入れられているようです。

また、テニスのノバク・ジョコビッチ選手などのトップアスリートも同様の瞑想法を、そして、世界経済フォーラムの主宰するダボス会議でも瞑想が取り上げられたりしています。

ここ最近は、シリコンバレーのIT企業だけでなく、世界中のトップエリートがこぞって瞑想で何かを得ようとしているようなのです。

それにしても、なぜ今、瞑想が流行っているのでしょうか?

私たち日本人には、瞑想=宗教=怪しい、という図式が頭に浮かんでしまいます。

しかし、海外で瞑想が広まっているのは、宗教的な理由ではありません。

「仕事や人生のパフォーマンスを向上させる実践法」が教えられているようです。

近年では、瞑想のメカニズムについての科学的な解明が進み、様々な実用的な効果があることが分かってきました。

なぜトップエリートたちは瞑想するか

例えば、Appleを立ち上げITで時代の寵児となった、故スティーブ・ジョブスは東洋思想に深く傾倒していました。

彼が、パラマハンサ・ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」や、また、曹洞宗の僧侶であり、アメリカに禅を伝えた<鈴木俊隆>老師の「禅マインド ビギナーズ・マインド」を愛読していたのは有名な話です。

(ジョブスは特に曹洞宗の乙川弘文老師を精神的指導者として慕っていました。)

東洋思想、特に、禅の思想がAppleのデバイスに与えた影響は無視できないでしょう。

余計なものの一切をストイックに排し、いかに合理的で洗練されたデザインを創造するか。

それらを通して、世界中の人々の生活スタイルに革命を起こしました。

それは、何かを足してデコラティブに付加価値をつけていく<足し算の発想>ではなく、極度に虚飾を排した、シンプルな美しさ、つまり、<引き算の発想>です。

部下の持ってきたipodの試作品を水槽に沈め、ぶくぶくと出てくる泡を見せながら「こんな隙間があるじゃないか、もっと小さくしろ!」と指示したのは有名な話ですね。

また、彼の服装が常に、「デニムに黒のタートルネック」というのもそのあたりのミニマムな思想の表れだったのかもしれません。

それから、ジョブズが2005年にスタンフォード大学の卒業式で行った有名な演説。

「私は毎朝、鏡の中の自分に向かって、『今日が人生最後の日だったとしたら、今日の予定をやりたいと思うだろうか』と問いかける。『ノー』の日が続いたら、何かを変えなければいけない」…素晴らしい演説です。

このあたりも、<常に今、この瞬間をしかない>という禅からの影響を感じさせます。

さて、ジョブスのようなアメリカ人が東洋思想に傾倒する流れの源流は、前述した、<鈴木俊隆>老師の渡米からはじまります。

<鈴木俊隆>老師が禅の思想を伝えるにあたって、ニューヨークのアンダーグラウンドでは、<ビート・ジェネレーション>と呼ばれる尖鋭的な文化活動が起こっていました。

ビートジェネレーションと 禅(ZEN)  ~鈴木俊隆というクールな住職

ビート・ジェネレーションは、その後のロックやヒッピー文化に繋がる、アメリカの1950年代のカウンターカルチャーです。

第二次世界大戦を勝利し栄光をおさめたアメリカですが、経済的に豊かになる一方で、それらの物質社会や保守的な体制に異を唱える若者たちが出てきました。

彼らは独自の言葉を持っています。詩人である、ゲイリー・スナイダー、作家のジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズたちです。

その文化の根底には、当時隆盛を極めたモダンジャズや麻薬(LSD等)でのトリップ、ポエトリー・リーディング、そして<禅 ZEN>などの東洋思想がありました。

鈴木俊隆 老師は、1959年に55歳でアメリカに渡り、1962年にサンフランシスコ禅センターを設立しました。渡米12年の間にアメリカにおける禅の基礎を築きました。

詩人のゲイリー・スナイダーは鈴木老師のもとで坐禅の修業しています。アレン・ギンズバーグは鈴木老師の英訳した<般若心経>にいたく感動し、その朗読を行ったそうです。

…こんな風に意外な形で、アメリカと東洋思想が出会い、新しい文化へ発展するのです。そして、ビート・ジェネレーションから影響を受けた、下の世代でボブ・ディラン等の新進気鋭のフォークシンガーが生まれました。

また、ビートルズがのちにインド思想に傾倒する流れ、西洋文化の生きにくさ物質主義に疲れたヒッピーたち(ジョブスも少し下の世代ですがその一人です)が精神的な安らぎを求めて瞑想したりする流れも、少なくともその源流の一部は、「日本から輸入された禅の文化」にあると思っています。

禅(ZEN)という思想 

ここで<禅>について、簡単にですが説明します。禅(禅宗)は、坐禅を基本的な修行形態とする、大乗仏教の一派です。

文字・言葉の上には真実の仏法がないということで、日常生活の在り方の全てを修業とします。

真実は言葉には言い表せない、これを不立文字(ふりゅうもんじ)と言います。

日本では中国から鎌倉時代に伝えられて、曹洞宗など独自の発展をしてきました。

禅とは、超簡単に言うと、<今、ここにあることです。>坐禅は悟りを手に入れる目的ではありません。

まして目的を持って修業に邁進することでも、自己実現でもありません。

え? ってなりますよね。じゃあなんで修業するの??って頭に?マークがたくさん浮かびます。

禅とは何かを手に入れる手段や目的ではなく、むしろ、その意図や計らいが完全に落ちた時に自然に表れてくる、大生命の本来のあり方なのです。

これを見性や仏性と言います。

禅は、目的意識の強い西洋文化、西洋思想にとっての、コペルニクス的転回でした。

鈴木老師の「禅マインド ビギナーズ・マインド」にはそのあたりが平易な文章で語られます。ビギナーズ・マインドとは、つまり「初心」のことです。

鈴木老師は言います。「初心者の心には多くの可能性があります。しかし専門家といわれる人の心には、それはほとんどありません」「私たちがすベきことは、そのとき、そのとき、すべきことをするだけなのです・・・今、この瞬間に生きるべきなのです」「心が、その外側に対して、なにも期待しないとき、それはいつも満たされています」「知識を集めるかわりに、自分の心をきれいにするのです。

こころがきれいで透明であれば、・・・それを受け入れることができます」「苦しみの中に喜びを見出すことが、無常という真理を受け入れる道です」…。

どうでしょう。わかりますか?

ZEN 禅 から、マインドフルネス瞑想へ  

さて、現在、海外では、<マインドフルネス瞑想>が大人気です。こちらはより専門的に説明すると、禅の坐禅と、タイやミャンマーの初期仏教(ヴィパッサナー瞑想)とがミックスされて、宗教っぽさが取れて、科学的かつ合理的に系統立てられたものです。

その方法としては非常にシンプルです。<マインドフルネス瞑想>とは、自分の身体や頭や心の中、身の周りに起きていることに意識を完全に向けることです。そこに批判や判断をせず、ただただ見守ること、「気づいている」ことです。

すべてをありのままに受け容れて、「今、ここ」に「在る」こと、それだけです…具体的な瞑想法はここでは割愛しますが、これを続けることにより、ストレスが軽減し、自律神経が安定し、洞察力、直観力、創造力が高まるそうです。

いいことだらけですね!

禅の坐禅が本来は無目的に為されるものだったのに対し、<マインドフルネス瞑想>にはある状態に到達する方法論という側面がやや強いように思います。

しかし、このように、目的や方法論が明確なところが、名だたるグローバル企業の研修等にも広く普及する理由でしょう。

マインドフルネス瞑想の逆輸入  新しい地平

禅や初期仏教から派生した<マインドフルネス瞑想>が現在では逆輸入?というかたちで日本に入ってきています。

旧来のスピリチュアルな流れではない分類で新たな人気を博しており、関連書籍も多数出版されています。

これはヨガが健康法や美容法のひとつとして認知されてきた流れと似ているように思います。

また、<マインドフルネス瞑想>を覚えた後に、よりストイックなかたちでの禅の修行に入る外国人もいますし、日本観光のひとつとしても禅寺での参禅は大人気です。

<マインドフルネス瞑想>の流行に危機感?を持った日本のお坊さんたちが新たに<仏教3.0運動>として、旧来の仏教や坐禅に新しい解釈をして、こころの問題を解決する合理的な方法としての追及を進めています。

面白いのが、ここでも特定の宗教/宗派という意識づけはわりと希薄です。

現代は、「中国から日本に入った禅がアメリカに渡り、西洋文化の影響を受けて合理性を備えて、日本に逆輸入される、それが旧来の日本仏教にも新たな視点を与えている。」という段階です。

伝統と言う名の上に胡坐をかいた、古色蒼然とした葬式仏教は次第になくなっていくかも知れません。

まとめ

文化は時代とともに、国や人種やジャンルを超えて、伝播していきます。

それは互いに影響を受けあって、時に反発しながら、新しい潮流やうねりとなって、そして次第に統合していく一連の流れです。

禅や坐禅も当時のアメリカ、(現代でも)かなりクールで神秘的に映ったことでしょう。

彼らが咀嚼した文化が今、日本にやってきて我々は影響を受けています。

そして、近い将来にはまた新しい文化(日本の新しい思想や瞑想)が海外に、別のクールな形として、提供される日が必ずやって来るでしょう。 (了)

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