翻訳の起源は深すぎました

こんにちは。浅野 正憲です。
産業翻訳者として活動しながら、翻訳者を育成し、様々なテーマでブログを発信しています。

今まで翻訳の分野についてや、結果を出す人の特徴など様々なテーマを元に記事を書いてきました。
今回は少し視点を変えて、翻訳に関する起源についてお話していきたいと思います。

 

翻訳の起源は深すぎる


翻訳というお仕事を考えた時、皆さんはどのようなことが翻訳の仕事だと思いますか?

翻訳とは、ざっというと、
「ある言語」を「別の言語」と「同じ意味に変換」する
という作業です。
多くの人にとって翻訳は「縁遠い仕事」のイメージが強いかもしれません。

「自分は外国語に触れ合う機会がないから関係ない」
と思ってしまいがちなのかもしれません。

ですが、僕たちは、毎日、新聞やテレビで海外からのニュースを見聞きしていますよね。
これらは全て翻訳作業の結果によるものなんです。

また、学校で学んだ数多くの知識も翻訳のおかげで、
誰もが習得できるようになったといっても過言ではありません。

考えてみれば、日本語には数多くの翻訳語が含まれているんです。
実際、古代や中世には、主に中国から日本は漢字と様々な学問を輸入してきました。

遣隋使や遣唐使が中国から持って帰った書物は、日本では漢文として読まれていましたが、
そのうち、日本人が独自に表現のできる仮名を使った日本語の書物へと変化していきました。

江戸時代の日本は、鎖国体制にありながら、西欧の文明を採り入れることには熱心でした。
その時に重要だであったのが、オランダ語でした。

日本が当時、交易をしていた西洋の国はオランダのみでした。
なので、西洋の高度な文明を採り入れる手段としてオランダ語が学ばれていました。
江戸幕府の中では蘭学者と呼ばれる人々が
武士の知識エリートとしての地位を築いていた程です。

ですが、幕末時代、アメリカやイギリスをはじめとする
他の西洋諸国と交流するようになると、世界で最も有力な国際言語は、英語に変わっていました。

それは、当時の武士としては大変ショックなことでした。
あの福沢諭吉も、その中の一人でした。

下級武士だった福沢諭吉は、苦学してオランダ語を学び
優秀な蘭学者にまで昇りつめたものの、
開国後に知ったのは英米の圧倒的な国力が世界を席巻していた実情でした。

福沢諭吉は、その後、幕府の援助で、渡米をして留学生となり、英語を習得していきました。
帰国後は、その英語を教える教師となり、慶應義塾を開校しました。

その際に、英語の単語を一つ一つを知る手がかりとしたのが、
アメリカから持ち帰った英語オランダ語の辞書だったといわれています。

つまり、まだ英語から直接日本語に訳した辞書がなかったのです。

中には日本語には元々なかった言葉もありました。
その場合は、独自に作ったりしました。

例えば、Libertyの訳の「自由」という言葉がいい例です。

なぜ、そんな当たり前の言葉がなかったのか?というと
それは江戸時代以前は、Libetyの訳に該当する概念が日本社会に存在しなかったからだと考えられます。
つまり、翻訳により、別の言語を使う社会独自の概念を採り入れることが可能になるのです。

それは現代でも引き継がれています。
今では、英語の新用語は、「インターネット」や「コンプライアンス」など
カタカナのまま採り入れられていることも多いですが、それでも和訳しなければならない言葉が数多くあります。

以前に比べ、英語を理解し話せるようになった日本人が増えたのは事実ですが、
それでも、話せない人と比較するとずっと少ないので、翻訳なしに、外国からの情報を入手することは、ほとんどの日本人にとっては不可能なんです。

翻訳は、僕たち我々の生活にとって不可欠なもので、情報の根幹を担う役割を果たしているといえます。

まとめ


今回は、翻訳の起源のようなお話をしましたが、「翻訳」という仕事の役割は理解していただけましたか?
いかに翻訳が僕たちの生活の中で必要不可欠な仕事なのか理解していただけたと思います。
少し視点を変えて記事を書きましたが、1人でも多くの方の勉強になれば幸いです。

 
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